奈良県外国人教育研究会編『オッケトンム -強制労働編-』

戦後半世紀がたった今も、全国各地に戦争の傷痕が残されている。しかしながら、それが次の世代にまで語り継がれているとは限らない。むしろ、隠されたままで、地元の人も知らないままに放置されていることさえ数多くある。そのような歴史の闇に埋もれていた強制連行・強制労働の歴史を発掘して、子どもたちに伝えるために教材化を試みたものが本書である。
好評の『オッケトンム』シリーズの一冊として刊行された本書は、大きく二つの部分から構成されている。一つは、戦争末期に海軍飛行場建設にかりだされた朝鮮人労働者の歴史をあきらかにして、強制連行・強制労働の実態を具体的にあげながら、子どもたちに「歴史をわすれないで」と訴えている。
もう一つは、地下要塞の建設にかりだされた朝鮮人兵士の歴史をもとに、子どもたちが追体験できるように劇化したシナリオを主として、史実の関連資料が収められている。この劇はすでに子どもたちによって何回か、実際に上演され、好評をはくしたという。それぞれの現場で、忘れてはならない歴史として「心にきざむべき」事実の教材である。

B5判 59ページ
頒価 700円

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奈良県外国人教育研究会編 『オッケトンム -音楽編-』

私たちは、西洋の音楽については学校の中でもふれる機会が結構多いのに、隣の国・朝鮮の音楽については、ほとんど接する機会がない。そのことのおかしさについてさえ、気づいてもこなかった。この本は、そんな現状をなんとか変えていきたいとの思いから生み出された。単なる歌集ではなく、最初は「オンマと運動会」という物語からはじまる。そして、朝鮮の楽器チャングの演奏のしかた、運動会での農楽、サンモやソゴの簡単なつくりかた等々が紹介される。「アリラン」や「ヌンヌンヌン」、「アプロ」等々の歌が、振り付けをつけて、現場ですぐ使えるように工夫されている。「ドレミの歌」や「エーデルワイス」などの有名な歌も朝鮮語で紹介されている。また、「ハナロ(ワンコリアフェスティバルのテーマソング)」、「セタリョン(鳥節)」、「ポンソンファ(鳳仙花)」等も収録されており、盛りだくさんの教材といえよう。

さらに、元・朝鮮人強制従軍慰安婦の証言で、「シンセタリョン(身世打鈴)」として語られた中からひとつの詩が最後につけられている。これは、92年12月におこなわれた日本の戦後責任を追及する奈良研修会での発言から採られたもので、活用は現場の教員にまかせられている。

B5判 88ページ
頒価 900円

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奈良県外国人教育研究会編『オッケトンム -遊び編-』

本書は、パンペヨン(朝鮮凧)の作り方を中心にまとめている。今まで、いろんな作り方を参考にしながら、ヨンの制作を繰り返してきたが、なかなかとんでくれなかった。
そこで、県外教では絶対「とぶ」ヨンをめざして作り方の研究?を重ねた結果が、この遊び編となった。しかも、ただヨンを作る内容だけではない。在日朝鮮人1世のハラボジのパンペヨンにまつわる思い出話やあげ方などを聞き取りし、やさしい読み物にもなっている。
この中でハラボジは「この凧は、わしの国の凧じゃ」と語り始める。生まれ故郷の朝鮮のマサンは、口では言い表せないないくらい美しく、ヨンをあげるにはもってこい。ハラボジの目はずうーと遠くを見ている。日本人の子どもタクミは「おじいさんは、どうして日本にいるの」と問いかける。ハラボジは、先の戦争のこと、日本に無理矢理連れてこられたこと、名前が二つあることなど静かに話す。
そして、二人でやっとあげたパンペヨンが高く高くあがる。タクミはそっと「ハラボジ…」って、心の中で呼んだ。まずは、こんなハラボジの思いを子どもたちにつなぎながら、ヨン作りにとりくんでほしい。他にわかり易いユンノリの遊び方等を収録。

在庫なし

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奈良県外国人教育研究会編『差別と排外を撃つ -奈良における在日朝鮮人教育運動この12年の歩み-』

1979年の全朝教第1回研究大会から、90年の第11回大会までの間に提出された奈良からの報告を集めたものである。公務員採用の国籍条項撤廃の闘いから奈良県外国人教育研究会結成までの、奈良における、この12年間の在日朝鮮人教育の歩みが概観できる。
現場の実践では、就学前段階での自然な出会いを創り出そうとした幼稚園のとりくみや、小学校での美術や音楽を通した豊かな出会い、朝鮮の独楽まわしや凧つくりなどの遊びを通じての小・中学校での実践、また朝鮮と日本の関係史を確かに認識させようとする小・中・高校での歴史学習など多彩な内容のとりくみが収録されている。
また、高校生交流会ソダンの歩みや意識調査・実態調査のとりくみ、本名宣言、夜間中学、県の指針策定までの経過等々、一人の子どもに焦点をあてたものから、集団としてのとりくみなど豊富な実践記録である。
なお、この冊子は、2回目の全朝教奈良大会開催を記念して編集されたものであることを付記しておく。

B5判 169ページ

頒価 1200円

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下之庄歴史研究会編「部落史観は転換したか -現在と未来を問う-」

部落史に学ぼうとする人たちの必読文献です。部落史については、いまだ教科書にも、貧困・低位性論と悲惨史観が幅をきかせています。そのような見方がいまよりもさらに大勢を占めていた時代から、下之庄歴史研究会は、部落史観の転換を提唱してきました。地元の資料発掘から始まって、それまでの部落史を批判して新たな見方を提示し、その活動はすでに四半世紀を過ぎています。本書は、設立30周年を迎えた自主的民間研究団体が開催したシンポジウムの記録です。奈良県における下之庄歴史研究会の<持続する志>を賞賛したいと思います。
内容は、下之庄歴史研究会の代表である上野茂さんの報告「部落史認識の再構築に向けて」から始まり、西日本からは九州・福岡県人権研究所の竹森健二郎さんの「部落史観は転換したか」、東日本からは長野の信州農村開発史研究所の斎藤洋一さんの「信濃国の近世部落史研究の成果と課題」と、それぞれの地域に根ざした貴重な報告が収録されています。
上野さんの報告は、『雑学』に連載された「異能者論」の集大成です。竹森さんも最初は「全国各地でこのようなことが行われていたと言いたいわけではありません」と言いながら、斎藤さんに挑発されて「このようなことが全国で行われていたのです」と変化します。この辺の詳しい内容は、ぜひとも本書を紐解かれたいと思います。非常におもしろいシンポジウムの実況中継が味わえることを保障します。

B5判 77ページ
頒価 700円

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京都府立城陽高等学校編講演集 増補版『新しい部落史の見方・考え方』(在庫なし)

本書は、『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』のサブテキストとしてつくられたものである。城陽高校や京都府立高等学校同和教育研究会の研修での講演録である。10人の講演者が、それぞれ独自の視点で部落史を語る。

もくじ

「部落史の見直しと教育内容の創造」
吉田栄治郎さん(奈良県立同和問題関係資料センター)
「ケガレ意識と異能者集団」
上野 茂さん(奈良県三郷町下之庄解放会館館長)
「部落史観の転換と解放への展望」
金井英樹さん(全国在日朝鮮人教育研究協議会事務局長・当時)
「いま、部落史がおもしろい」
渡辺俊雄さん(部落解放・人権研究所)
「部落史がかわる」
上杉 聰さん(関西大学文学部講師)
「部落の歴史をどう学ぶのか」
住本健次さん(福岡県立北九州高等学校・当時)
「被差別部落の歴史」
山本尚友さん(世界人権問題研究センター・当時)
「近代部落問題成立・序説」
小林丈広さん(京都市歴史資料館歴史調査員)
「最近の研究をふまえた部落史学習の視点」
外川正明さん(京都市立永松記念教育センター研究課・当時)
「『渋染一揆再考』-多様な部落史像を求めて-」
藤田孝志さん(岡山県備前市立備前中学校)

A5判 268p

頒価 700(『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』とセットで1000円)

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京都府立城陽高等学校編 『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』改訂版

近年、部落史において、従来の「近世政治起源説」にたいして「部落史の見直し」が奈良・大阪・京都をはじめ、全国で徐々におこなわれつつある。しかし、まだまだ研究者レベルでのもので、具体的にどう生徒に教えればいいのか、現場の教員にとまどいがあることも事実である。また、「部落史の見直し」は、ひとつ「部落の歴史」を見直すにとどまらず、「日本の歴史の見直し」のなかに位置づけられている。そうしたなかで、2002年度から、中学校の歴史教科書の記述も大きく変わろうとしている。
こうした流れの中で、京都府の公立高校では「新しい部落史」の教材化をすすめてきた。そして、その一つの結果といえるものが、本書『被差別部落の歴史 -新しい部落史の見方・考え方-』である。中世の被差別民の起こりからはじまり、近世の被差別民の姿、それをとりまくまわりのまなざし、近・現代における部落差別の社会問題化と部落差別撤廃へむけた闘いの歴史を、A4版に32ページにコンパクトにわかりやすくまとめてある。部落史学習のテキストとして最適の書と言えよう。

A4判 32ページ
頒価300円

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高取昌二著 『同性愛者として coming outの軌跡』

この本には、「多様なセクシュアリティについて考えよう。性教育や人権教育にその視点をとり入れよう」というメッセージがこめられています。
セクシュアリティということばは、まだまだ一般に浸透していません。そこで、はじめてこの問題にふれる人のための概説として、第1部「多様なセクシュアリティを考えるために」を書きました。教科書的な知識ですから、退屈だと思われた方は、第2部から読んでいただいたらと思います。
第2部「coming outの軌跡」は、主に1997年の秋から2000年の春にかけて、僕自身がまわりの人たちにカミングアウトしていく過程で書きためた文章を再構成したものです。自分が同性を好きだと気づいてから、長い時間をかけて、そのことと向き合えるようになっていったこと、文化祭の教職員劇をきっかけに十数人の同僚教員にカミングアウトしたこと、生徒たちへのカミングアウトとその後について、という流れに沿ってまとめました。
第3部「AIDSと同性愛」では、朝日新聞の「論壇」に掲載された文章を材料に、米国での経過や過去の歴史にふれながら、AIDSと男性同性愛の関係について、考えました。
教職員をはじめ、できるだけたくさんの方々にこのメッセージが伝われば幸いです。


カミングアウトとは、自らのあり方と向き合い、それを言語化し、周囲の人に語ることで、人間関係をつくりかえていく作業です。長い準備期間を経て、教職員劇以降、事態は急速に展開しはじめました。そこには、心の奥に閉じこめてきたたものが堰を切ったかのごとく、ふつふつとわきあがる高揚感、もっとわかってほしいという期待、今まで見えていなかった心の深みに向き合わざるを得ないしんどさ、微妙な心の揺れと痛みがありました。ともすれば感情の洪水にのみこまれてしまいそうになりながら、周囲の人に話を聞いてもらい、さらには、ひたすら文章を書くことで踏みとどまっていたように思います。
そんななかで、珠玉のように大切なことどもが心の底にしみこんでいきました。自分のしゃべっている言葉をちゃんと信じることができているという感覚、自分の求めているものは何かをはっきりさせて、自らの手でつかみにいくこと、そしてなにより、人間とは信じるに値するものだという確信。
たくさん書いた文章を読んで温かいコメントをくださったみなさんに支えられて、一冊の本がまとまりました。不十分な点も多々あると思いますが、ひとまずこれが到達点です。まわりで支えてくださったすべてのみなさんに感謝をこめて。

2000年7月10日 高取昌二
「はじめに」より

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黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」

福岡安則です。
12月に,ゼミの大学院生の黒坂愛衣さんとの共著(主体は黒坂さん,ぼくはコメンテーター)で『黒坂愛衣の とちぎ発〈部落と人権〉のエスノグラフィ パート1 部落へ飛び込む』『パート2 出会い,ふれあい,語らい』(創土社,各1800円)を出しました。
読んでいただいた方からは,好評をえています。たとえば,こんな感じ。


社会学者の上野千鶴子さん

《ライブ感が伝わってきます。メールの交信記録をまんまフィールドノートにしてしまうという本のつくり方もあるのか,と虚をつかれた思いです。》


解放新聞編集長の笠松明広さん

《いい本がでました。これを読んでもらえば,部落にたいする偏見はなくなるでしょう。》


社会学者の井上俊先生

《読みはじめたらとまらなくなり,翌朝起きられなくて会議に遅刻しました。》


社会学者の細谷昂先生

《福岡さんは,こういう教育実践をしておられるのですか。感動しました。》


部落解放同盟栃木県連の戸田眞さん

《中学生日記みたいだね。晩酌の肴にちょうどいいよ。》


猿舞座座主の村崎修二さん

《激写です。ほめてあげてください。》


社会学者の長谷川公一さん

《新しい言文一致体だね。》


2002年秋より,黒坂愛衣は、部落解放同盟栃木県連合会事務局でアルバイト兼フィールドワークをはじめ,いまなお続行中です。県連での日々の経験を,じぶんの言葉で,日記のように書き綴った「エスノグラフィ」が,指導教官である福岡安則先生との共著のかたちで、このたび,本になりました。

**本書の特徴**


この本について,登場人物たる事務局のひとたちは,「県連の暴露本だ!」と冗談めかして言いますが,それを,戸田眞事務局長はこんなふうに表現しました。

「外側から『部落』を覗いてやろうという,その,覗き心をくすぐるような暴露本じゃあ,ないんだよな。この本で暴露されてんのは,栃木の『部落民』性がどうなってるとか,そういうんじゃなくて,俺らひとりひとり,《個》が暴露されてるんだ」。

この指摘はズバリ当たっていて,この本には,解放運動に参加するなかで出会ったひとびとの具体的な姿が描かれています(これを「暴露」という言葉で表現されるのには,弱ったなあ、と思う)。部落出身のひとも,部落出身でないひとも登場します。

わたしは,ひとりひとりまったく違う,具体的な《個》の姿を知ってもらうことこそ,部落差別をなくす一歩になる,と信じています。

それからもうひとつ、本書の特徴は、フィールドワークの実際――というか「舞台裏」――も、隠さず表に出していることにあります。これは福岡先生の当初からの方針でありました。

県連にアルバイト兼調査の受入れをお願いし、現場に「とびこむ」ところからはじまります。ワケガワカラナイ状況から次第に周囲を理解していき、本にする許可を得るために走り回り、とちゅうで息切れがしてノートを書かなくなったり、書き溜めたフィールドノーツが「訂正、訂正、訂正の嵐」にみまわれたりします。

じぶんのダラシナサを露呈していて、恥ずかしくも思いますが、こうした「舞台裏」がみえることも、本書の魅力であると思っています。

黒坂愛衣さんの自薦文

判型 ページ数 頒価(円) 重さ(g)
PART1 A5判 311p 1800+税 355
PART2 A5判 294p 1800+税 335

黒坂愛衣 福岡安則(コメンテーター) 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART1 部落へ飛び込む」 「黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ PART2 出会い、ふれあい、語らい」 はコメントを受け付けていません

京都府立木津高等学校同和部編『胸はって生きる』

私は部落出身ということに対して、いやだと思うんじゃなく、人権学習という勉強を、生徒のみんなでするのがとてもいやでした。その時は、他の生徒の人たちに、自分が部落の出身だとばれたらどうしようという心配があったし、こんな勉強するからみんなが「部落差別」という言葉を知っていくので、いちいちそんなことを教えなくてもいいんじゃないかと思ってました。
また実際にあったことで、人権学習のある前の休み時間に、私は友達に「なんでこんな勉強しやんなあかんねやろなあ、別に関係ないのに」といわれて、何も返事をすることができませんでした。「うん」となんでもないように返事をするとウソになるし、だからといって怒ることもできないし…。
ただ笑ってごまかしていました。
人権学習がはじまってからも、男子たちが、人権学習のプリントを飛行機にしたり丸めて投げているのを見て、ちゃんと読んでほしいと思っても、決して注意することはできませんでした。
今から思うと、すごくはずかしいと思います。しかしその時に、「それは違う」「やめときや真剣に考えさ」といえる人は、少ないように思います。しかし私がその時に思った気持ちは、もう誰にも味わってほしくありません。
だからこそみなさんに、部落問題について、しっかりと考えてほしいと、思うのです。もちろん部落出身の私たちがもっとしっかり勉強していかなければなりません。

しかし、「私は部落じゃないから関係ない」というのではなく、みんなに考えてほしいと思います。

1994年、3年生人権学習感想文


なにげない言葉や行動が、深く人の心を傷つけているということに、気づいたことがありますか。
「次の時間は何や」
「また人権学習らしいで」
「ええっ、もうそんな話はききたないし、授業さぼろか」
「でも、またあとで、担任に怒られるで」
「そやな、しゃあないし、教室にいこか」
こんな会話が、教室でかわされていませんか。この会話の中の「人権学習」という言葉を、「英語」や「数学」や「理科」という言葉に、おきかえてみてください。
そうすると、この会話は、本当に日常的に教室の中で話されているものになります。その延長線上で、「人権学習」の時にも、こういった会話が、よくかわされるわけです。
「英語」や「数学」や「理科」という言葉の場合には、その教科を担当する教員が、少しは傷つくことがあっても、ほとんど問題にはなりません。
しかし、「人権学習」ということになると、それを聞いた部落出身生徒や在日朝鮮人生徒は、とても複雑な気持ちになるのです。
1922年に、全国水平社が結成されて、すでに70余年の歳月がたちました。部落解放運動の長い苦闘の歴史の中で、表だって部落差別を肯定する意見をいう人は、ほんとうに少なくなったと思います。
露骨な差別表現は、目の前から消えたのですが、残念ながら、無意識のうちに人を傷つけたり、無知のために人が傷つくということが、いまだに日常的におこっています。
「私は差別をする気はないし、いままでも差別したことはない」という前に、もう一度自分がしてきたことを、きびしい目で、徹底して見つめなおしてみてください。
そのきっかけとして、本書が役立てればと考えています。

「はじめに」より

A5判 89ページ
頒価 700円

京都府立木津高等学校同和部編『胸はって生きる』 はコメントを受け付けていません