香川県部落史をどう教える会編 『私たちが創る部落史学習 差別解消の主体者を育てるために」(在庫なし)

「どのように部落史学習を組み立てていけばいいのか」。この問いの答えを求めて本書を手にとられたのではないでしょうか。
私たちも最初は,この答えを求めていました。しかし,それは,「近世政治起源説」にかわる新しい知識を求め,新しいマニュアルを求めていたにすぎないことだとわかりました。
研究者はさまざまな説を唱えます。しかし,研究者は答え(マニュアル)を与えてくれません。教える内容は,教員自らがつくらなくてはいけないということです。教員の役割は,研究者の説をわかりやすく子どもたちに伝えることではありません。教育には目的があります。私たちの考える教育の目的は,「差別解消の主体者を育てる」ことです。
従来の部落史学習では,「差別はいけないことだとわかりました」「差別は許してはいけないことだと気づきました」といった感想を,子どもたちは書きました。子どもたちの多くは,差別は自分には直接に関係ないこと,自分がちゃんとしていればいいのだという認識で終わっていました。なぜ許してはいけないのか,なぜなくさなければいけないのかを,主体的に問いかける営みが必要です。
「部落史の見直し」の中で,「ケガレ」の問題が大きくとりあげられるようになりました。「ケガレ」については,内容や意味を理解することよりも,「ケガレ」というフィルターを認識や判断の基準としていたということを問うことが重要であると,私たちは考えています。
つまり,差別の理由を明確にするよりも,さまざまな理由を生み出してまで「差別」をしてきたことを問う必要があるということです。部落民という存在を生み出してきた側の意識こそが問われなければならないのです。
私たちが考える「差別解消」の意味は,自他のもつ差別意識,現実に存在しているあらゆる差別の構図や現象そのものをなくしていくことです。
そこで課題になってくるのは,「差別」をどうとらえているのかということです。また,教員自らが部落史から何を学ぶかという視点です。
本書をつくる際に,「こう教えたらいい」という教育技術として受けとめられるのではないか,教員の姿勢を問いなおすことなく,単にマニュアルとして受けとめられるのではないかという危惧がありました。単に「こうすれば,部落史の授業ができる」ということで,本書を読んでもらいたくはないのです。
「なぜ部落史を学ぶのか」という問いを,教科書記述が変わったからという消極的な理由で,単なる知識の見直しに置きかえられたくないのです。中途半端な知識の聞きかじりで,「部落史の見直し」を語れば,新たな偏見や誤解を生みかねません。まず,私たち一人ひとりが,「差別」をどのように認識するのかを,自分自身に問いかけるべきであると考えています。
教育改革の流れの中で,「知識」から「思考・判断力」「関心・態度」に重心が動いてきています。部落史学習に関しても同じではないでしょうか。今までは,部落差別に対する正しい認識を育てるということに主眼を置いてきたことから,確かに知識は身についてきました。しかし,そのことと部落差別解消とは直接に結びつきませんでした。
部落史学習は,物知りをつくることが目的ではなく,差別解消に向けての「意欲・態度」を育てていくことが目的ではなかったでしょうか。知識を持つことは決して否定されるべきことではありません。知識は武器です。武器であるからには,その使い方が重要になります。その使い方が「思考・判断力」ではないでしょうか。
今まで教員自らが知識のみを求めていなかったでしょうか。「厳しい差別を受けてきた」という言葉があります。この「厳しい差別」とは何か。「厳しくない差別」はあるのか。当時の人々が「厳しい」と捉えた差別とは一体何なのか。子どもたちに「厳しい差別」を知識として教えて何が生まれるのか。そういう問い返しもなく,知識として得た「厳しい差別」という言葉を,何の疑問も持たず使い,教えてきていなかったでしょうか。
そういった姿勢だったからこそ,知識を求め,マニュアルを求めてきたのではないでしょうか。
本書のそれぞれの原稿は,執筆者自らが,「差別」をどう認識するかを問いかけた結果から生まれました。
本書を土台に,もっと議論を進めていってください。そして,同じ思いをもつ各地のなかまとつながっていきたいと思います。

「はじめに」より

第1章・第2章・第3章で中世から近世にかけての部落史の概説をおこなっている。なかでも、筆者・藤田孝志さんが現在もっとも精力を傾けて研究をされている「渋染一揆」にかかわる記述は、私たちがいままで知っていた被差別民の姿を大きく変えてくれる。
第4章以降は、香川県における小学校・中学校での授業実践記録である。学習指導案も掲載されており、具体的に授業をしていくうえで、多くのヒントを与えられることと思う。

A4判 151ページ
頒価 1200円



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