メールマガジン第197号を発行しました

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今号の巻頭言より

外国につながるひとの「名前」

先日、地域の交流会に参加しました。テーマは、外国につながる人の名前です。私が住む地域は全国平均の2倍ほどの割合で外国籍者が在住し、当然のこととして、国籍が日本でも外国にアイデンティティを持つ人が少なからず生活しています。
全体会で発言した人たちはみな韓国朝鮮につながる人たちで、10代から30代の比較的若い面々でした。それでも、暮らしてきた地域、世代、環境によって「名前」に関する経験は多種多様に及び、一言で括ることは不可能と思われました。現在本名を名のっているか、それとも通名を使用しているかについても皆さんの判断・決定はわかれていて、私たち聴衆は、それぞれの方たちの決断を掛け値なしに受けとめるしかないと強く感じました。むろん、誰もが自分の名を隠さずに生きることができる社会こそが理想であり、そうでない状況は有ってはならないものです。しかし残念なことに差別の歴史は脈々と受け継がれていて、親が子どもを思うが故に、そもそも本名とは何か、何が通名なのか、在日年数を重ねるほどに判然としなくなっています。
翻って考えるに、日本社会の「国際化」が進んでいると言われるなか、その「国際化」の最先端を図らずもになっている「国際結婚」の家庭を、日本社会はどれだけ支援できているか、疑念が高まります。問題の本質は国籍などという外面的なものではなく、個々人の自己是認そのものです。それが最も見えやすいのが「名前」です。隠さねばならない「本名」やら使えてしまう「通名」やらが選べる間は、この国に住む人たちに心の平安が訪れることは決してなかろうと思うのは、間違いでしょうか?

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今号の巻頭言より

度重なるいじめ事件

昨年秋、群馬県桐生市で起きた、母親がフィリピン人であることを直接のきっかけとしていじめられ小学生女児が自殺した事件は記憶に新しいところですが、同様の事件が再び起きてしまいました。
先月末、神奈川県小田原市の中学校で、父親が韓国籍であることから、クラスの複数の男女生徒からからかわれている1年生女生徒が、音楽室でそのうちの一人の女子生徒に工作用小刀で切りつけ、けがをさせました。「小刀を見せればいじめをやめる」と考え、小学生のときに授業で使っていた小刀を持ってきたのだが、座席をめぐるトラブルでかっとなり、とっさに切りつけてしまったようです。警察はこの非行事実を児童相談所に通告しました。小田原市教育委員会は記者会見のなかで「言葉によるからかいはいじめの一部」と述べましたが、事件のあった中学校の校長は「いじめという認識は持っていない」と語り、またもや教育現場の事実認識のあまさが浮き彫りになりました。担任教員がいじめに気づいたのが昨年10月ごろで、12月には今回けがをした女生徒とその母親、担任の話し合いが持たれたと事実があったにも関わらず、です。
誰かをいじめても「それはいじめではない」と認定してくれる校長のもとなら、安心していじめを続けられそうです。この校長はいったい誰を何を護ろうとしているのでしょうか? おとなに護られず安全な生活を送れない
子どもはまるで、戦場に取り残された孤児と同じではないですか?

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2011年度の集会案内のページを更新しました

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