京都府立八幡高等学校同和部編『自分を好きになるために』

「差別なんて、もうないんとちがうん」「差別なんて、私たちと関係ないわ」「同和学習なんかするから、よけい差別するんとちがうん」といった意見があります。
一方で、「やっぱり、同和学習をしてよかった」「私たちの知らないところで、こんなに苦しんで悩んでいる人たちがいることを知って、よかった」「差別の現実を知って、私たちは、今後、何をしたらいいんだろう」という意見があります。
「差別は見ようとしないものには、見えない」というのが、現実ではないでしょうか。友だちのなにげない言葉に、深く傷つき、悩む姿を、私たちはたくさん見てきました。知らず知らずのうちに差別していたということが、なんと多いことでしょう。
私たちは、自分のまわりにいる被差別部落出身の高校生や、在日韓国・朝鮮人の高校生などのいつわりのない気持ちに耳をかたむける必要があります。
差別の現実を知ることから、差別問題へのアプローチがはじまります。深く知ることにより、より深く考えられるようになるのではないでしょうか。
私たちは、「差別とは、人間がほんとうに人間らしく生きられないこと」であると考えています。さらに、「差別することはみにくいこと」であると自覚し、「自らのみにくさからの解放」を求め、「ステキな生き方」を模索することが、差別問題を考える基本的な姿勢であると考えています。
同和教育のマンネリ化が、多くの人たちから指摘されています。私たちは、同和教育の中にただよう「三つのタ」を追放しようということで同和教育をすすめてきました。「タテマエ」「タテジワ」「タニンゴト」これが「三つのタ」です。
「差別することはよくないことだ」という「タテマエ」は、現在、百人の人間がおれば百人ともが言います。しかし、少し深く話し込むと、その人の「ホンネ」がでてきます。「ホンネ」のところで、差別する心をもった自らの「みにくさ」に気づく必要があります。
「タテジワ」というのは、差別問題を語るときには、眉間にしわをよせて、深刻なふりをする必要があるように思っていることです。差別問題を理解していく過程が、「みにくさ」から自ら解放されていく過程であるとするならば、必然的に「明るく」「楽しい」はずのものです。
差別問題を「タニンゴト」としてしかとらえていない場合が多いようです。差別問題を「ジブンゴト」とせず、親が悪い、教員が悪い、差別している人間が悪い、一人自分だけが、差別していないという考え方です。ここで、もう少し深く考えていただきたいのです。他人をせめている自分自身が、差別の問題を「タニンゴト」とせず、ほんとうに「ジブンゴト」の問題としてとらえきれているのか。自分だけが、世間から隔絶して、「正義の味方」になってしまってはいないか、点検して下さい。
八幡高校で学んだ同和学習の内容を、自らの今後の人生の糧として、日常のささいにみえる事象の中にひそむ差別を敏感に見抜く感性を育てていただきたいと思います。その中で、「差別をしない、許さない」という自らの意識を高め、「ホンネ」で「明るく」「ジブンゴト」として、差別問題に向きあっていける人間になっていただきたいと考えています。
この本は、すべて本校の生徒や教員が書いた文章で構成されています。立派な文章もあれば、言葉が足りないなと思える文章もあります。不充分で、差別的ととらえられるものもあるかと思いますが、個々の生徒や教員の発達の過程を表現したものとしてとらえていただきたいと思います。

「はじめに」より

A5判 101ページ
頒価 700円



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