メールマガジン第197号を発行しました

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今号の巻頭言より

外国につながるひとの「名前」

先日、地域の交流会に参加しました。テーマは、外国につながる人の名前です。私が住む地域は全国平均の2倍ほどの割合で外国籍者が在住し、当然のこととして、国籍が日本でも外国にアイデンティティを持つ人が少なからず生活しています。
全体会で発言した人たちはみな韓国朝鮮につながる人たちで、10代から30代の比較的若い面々でした。それでも、暮らしてきた地域、世代、環境によって「名前」に関する経験は多種多様に及び、一言で括ることは不可能と思われました。現在本名を名のっているか、それとも通名を使用しているかについても皆さんの判断・決定はわかれていて、私たち聴衆は、それぞれの方たちの決断を掛け値なしに受けとめるしかないと強く感じました。むろん、誰もが自分の名を隠さずに生きることができる社会こそが理想であり、そうでない状況は有ってはならないものです。しかし残念なことに差別の歴史は脈々と受け継がれていて、親が子どもを思うが故に、そもそも本名とは何か、何が通名なのか、在日年数を重ねるほどに判然としなくなっています。
翻って考えるに、日本社会の「国際化」が進んでいると言われるなか、その「国際化」の最先端を図らずもになっている「国際結婚」の家庭を、日本社会はどれだけ支援できているか、疑念が高まります。問題の本質は国籍などという外面的なものではなく、個々人の自己是認そのものです。それが最も見えやすいのが「名前」です。隠さねばならない「本名」やら使えてしまう「通名」やらが選べる間は、この国に住む人たちに心の平安が訪れることは決してなかろうと思うのは、間違いでしょうか?


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