「私の子どもは、私の子ども、もう決して離れたくない。」

孫さん、関さん姉妹は中国の黒竜江省で生まれました。その後1965(昭和40)年母・琴絵 さんが、元中国残留孤児である井上鶴嗣さんと再婚され、家族としての生活が始まりました。
父母は理容師をして生活を立てていたのですが、まもなく「文化大革命」のときに、様々な状 況の中、日本人であるということを理由に「下放」され生活は困難を極めました。そんな中でも、帰国するまでの16年間、病気がちな鶴嗣さんを琴絵さんと長女の孫さんのがんばりで支え 合い、正に家族一体となって、差別や貧困を乗り越え懸命に生き抜いてこられました。また小さい時に病弱で命を助けるために養子として託された関さんの事も、鶴嗣さん琴絵さんの心か ら離れる事はありませんでした。1983(昭和58)年、鶴嗣さん夫妻は中国政府の方針に従って、中国の養父の面倒を長女・孫さん家族に託し、4人の実子とともに安心して日本に帰国す ることができました。そして家族一緒に暮らしたいという長年の願いがかない、1996(平成8)年孫さん家族を、1998(平成10)年関さん家族を迎え入れることができました。初めて家族全 員が揃った喜びをかみしめながら、みんなで支え合い生きてこられました。
鶴嗣さんは「妻琴絵の娘は私の子ども。『血のつながり』はなくとも、この子達は一生私の子 どもです。決して離れたくない」と言われます。そんな願いも空しく、国は「在留が認められていない中国残留孤児の連れ子の家族なのに、在留が認められている実子の家族として偽って入国?在留してきた」として、11月5日朝、孫さん、関さん家族を強制的に収容し、中国へ「退去強制」しようとしています。そして、約3500名の「在留特別許可」を求める署名や多方面からの 要請にも拘わらず、12月17日に法務大臣の「在留不許可・退去強制」の裁決が通告されました。戦争によってバラバラにされた家族が、今回の裁決でまた引き裂かれようとしているので す。
孫さん、関さん家族には、専門学校生、中学生、小学生のこどもたち4人がいます。早い子 で小学校の1年生から日本の学校で学び、やっとの思いで日本語を覚え、日本の生活に将来の夢を持ち、それぞれの学校での生活を続けているところでした。もし、退去強制させられ たら、将来への夢はもちろんのこと、現在受けている教育の機会をも奪い取られます。それどころか、今中国に返されても、中国語が理解できず、学習についていけないことは明らかです。このままでは日本語も中国語も不確かなまま、生きる力としての学力が保証されないまま、一生を送ることになると思われます。また、今中国にもどっても、すでに日本にしか生活基盤 がなく、家族はきわめて困難な生活を強いられることになります。このようなことは、日本政府が批准している国際人権規約や子どもの権利条約の基本精神や条文からみても許されるもので はありません。
以上のような人道的な見地から、司法の判断として「法務大臣の在留特別許可を認めなかっ た裁決に裁量権の逸脱と濫用があり違法である」ことを認め、「裁決の取り消し」と「退去強制処分の取り消しと執行停止」及び「在留特別許可」を認めていただくよう、切に要望します。

(「連れ子、養子であっても在留特別許可」を求める署名」より)

本書には裁判費用・仮放免のためのカンパが含まれています。

B5判 62ページ
頒価 500円

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